今回も「理」と「情」の話をしたいと思います。
よく、あまり本も読まず、一代で、成功したような、社長が「世の中、理屈ではない。」と、本を読んでいる人達を、「頭でかっちの、へ理屈野郎」と、いうように評価することが、結構多く見かけます。
もちろん「頭でっかちの、へ理屈野郎」や、「論語読みの論語知らず」や、「口舌の徒」は良くありません。当然です。
でも、「本(知識)」そのものが悪いのでしょうか?
まず、私は「世の中は理屈どおりに行く」と確信しています。「理屈どおりに行かないとすれば、その理屈そのものが間違っているか、その理屈をどこに適用するかを間違っているかだ」とは、五味川純平の「人間の条件」の中の有名な一節ですが、正しくその通りです。
たとえば、核不拡散条約は理論そのものが、まちがっています。「今の核保有国は、そのまま持っても良いが、他の国は持つな」というのが、その主旨ですが、完全に間違っているのは、小学生でも分かるでしょう。
また、「資本主義において企業は、利益をいかに出すかが、主要な目的である」とは、一面の正しい理論ですが、これを農業に適用すれば、環境破壊と食の安全をダメにします。工業の理論を農業に適用するのは間違いなのです。
「理」というのは、切れる包丁です。使い方によって、素晴らしい料理も作れるし、人も殺せます。だからと言って包丁をなくすわけには、いかないのです。
「理」と「情」とても大切な比較議論です。 |